2016年3月22日
飯盛山城へ下見に行きました
商工会議所青年部で飯盛山城を視察研修するため、
研修委員会として下見に行きました。
四条畷駅に集合して、まずは四条畷神社に向けて歩きます。
四条畷神社の手前を左に静かな住宅街を道なりに歩いていきます。
さらに小さな権現川沿いに歩いていくとみつくえ橋があり、
渡るとすぐに御机(みつくえ)神社があります。
御机神社は牛頭天王と素戔嗚尊が祀られ、
三好長慶も飯盛山鎮座の神として崇敬も厚かった縁のある神社です。
そこから少し先の左には龍尾寺があります。
このお寺には雨を降らせた若い龍が竜王の怒りに触れ、
三つに裂かれ、尾の部分が落ちたところに建てられたという伝説があります。
権現川には写真のような川の水を分けて、
一つは南野集落へ流れるように作ったのだそうです。
昔、この当たりには水車がたくさんあり、
水あめの原料などを作っていたとのことでした。
ここでベンチなどがあり休憩場所の一つになります。
また、ここから山道へと入っていきます。
権現川の右手を歩いていきますと砂防ダムがあり、
近年のゲリラ豪雨で土石流などの被害が各地で出ています。
自然破壊にも繋がるのでしょうが、
下流に暮らす住民の方の事を考えると仕方ないのでしょうか。
少し登ると水汲み場が見えます。
近隣の方がペットボトルに美味しい水を汲みに来られるそうです。
更に登っていくと広い場所に出てきて小さな桜池にでます。
左へ向かうと大東市立野外活動センターへ、
右へ行くと飯盛城址、楠公寺方面へ。
山の電線や鉄塔にはこのような張り紙があり、
「Fー13」とあります。
遭難やケガなどした場合はこれを伝えると場所がすぐに特定されるそうです。
分かりにくいですが、
虎口と呼ばれる飯盛城の玄関にある石垣です。
玄関ですので、いい石が使われているとのことでした。
そのすぐ左には土塁が築かれ、
そこから矢で狙うこともあったそうです。
NHKのFM送信所が建っています。
ここは千畳敷と言われる面積の広い曲輪(くるわ)群で、
主に居住地域として利用されていたようです。
この送信所を建てているところが、
今のところ発掘調査されていて、
土師器や瓦、鉄製品などが出土しています。
楠正行の像です。
正行像の北にある展望台。
今は崩れる恐れがあり、
上に上がるのは禁止されています。
東阪市長は、ここに正行像より大きな三好長慶像を
建ててはどうかと提案されているそうです。
御体塚(みたいずか)です。
三好長慶の死後3年間遺体を安置したと言われている場所です。
300メートルの高さからの眺望は非常にすぐれ、
足元に大阪平野が見え、視界は270°に開けます。
北は比叡山、奥に滋賀県の比良山系を望み、西にかけては北摂から六甲の山々を見渡します。
また、大阪湾の向こうに明石海峡と淡路島、
遠く三好氏の本拠地である四国の山影がうかぶことがあります。
大東市教育委員会お墨付きの石垣。
大東市立野外活動センターの会議室。
おおよそ40席分の椅子とテーブル。
晴れていれば野外で昼食を摂りたいと思います。
野崎城址。
野崎城は古くから要衝の地であったと言います。
野崎観音から野崎城址までには、
江戸時代に茶店だったあとが休憩所として点在します。
飯盛山城と三好長慶は近年再評価され、
織田信長に先駆けて天下人であった三好長慶が居城として、
かつて首都であったこの地は私たち大東市民にとって、
誇りにできる郷土の宝です。
この歴史資源の価値を知り、
現在に生きる私たちがどのように活かしていくのか?
研修したいと思います。